お彼岸のこころ

そもそも「彼岸」という言葉は、「波羅密多(到彼岸)」からきています。国民の祝日でもあり、春分の日は「自然を讃え、生き物を慈しむ」で、秋分の日は「先祖を敬い、亡くなった人々を偲ぶ」と定められています。

煩悩にまみれ、苦痛に満ちたこの世界(此岸)に生きている私たちですが、春秋の彼岸の一日にお墓参りをする清らかな心の世界(彼岸)を持ち続けるためには、心の在り方が大切となります。

『大智度論』の中には「心が仏を見、心が仏を作る。心は即ちこれ仏なり。」とありますが、現実の生活の中で、このような落ち着いた心を持ち続けて行くことは容易ではありません。悩みの多いこの現実社会を生きている私たちですが、人それぞれの心底にはキラリと輝く心の仏性を持っています。

ただそれが、日々の生活の中で、また多忙の中で煩悩という塵によって覆われているだけのことです。私たちは生まれながらにして持っている仏性を大きく輝かし、よりよく生かし続けなければなりません。

そのためには心の修養が必要です。ちょうどいい機会ですので、この「お彼岸」の期間から「今日一日は」と題して、心の修養を試みてはいかがでしょうか。

「今日一日はこうでありたい。」「今日一日はこうしよう。」という気持ちを常に持ち、そのうえで心を整えて生きる。それと同時に、亡き人々のことを語り、この「いのち」の尊さを考え、「いのち」の輝きを代々伝えることに「彼岸」の心があるのです。

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